アッラ・ボロニエーゼ

パスタ、ではなく
スパゲッティーの名しか
市民権の与えられていなかったあの時代
子供向けなどと侮るなかれ
牛肉の美味の神髄に最も近い
この一品には『悲劇』が似合う

スパゲッティーといえば、自動的にミートソースを意味した良き時代。 学校給食「ソフトめん」とともに供された、あのケチャップの芳しき香りと、立ちのぼる湯気の向こうの屈託の無い笑顔たち。 このメニューの日、午後の授業の生産性が格段に高かったとの統計があるとのこと。 子供たちの熱狂的な支持がしかしこのメニューの悲劇の始まりであったとは。 「あのフニャフニャしたおこちゃま向けの…」という形容がかれの行く先々に付きまとう。 かれはひどく無口になった。 偏見の十字架を背負いながら歩くイバラの道に疲れた足元に、一条の光が。 「イタ飯…」 「アルデンテ…」 ああ、神よ、ついにわれわれの時代が! 喜びはひとしお。 しかし、ほどなく、かれはまた絶望の奈落に突き落とされる。 「BSE」という名の悲劇によって。 以前よりもっと無口になったかれはまた歩き続ける。

ボロネーゼソースの牛挽肉はダシガラではない。 牛肉を味わうためにこのソースが存在する。 挽肉の粒に旨味が詰まっている状態、つまり無数の、ちいさなステーキ(外側はこんがり、内側はジューシー)が、集まってソースを形成している状態、とりあえずこれをめざす

ボロネーズ・ソース、本名は 『ラグー・アッラ・ボロニィエーゼ』 。 ローマの北、エミリア・ロマーニャ州の州都、ボローニャの名物。 南部に比べオリーブオイルの産出量が少ないので、油はもっぱら豚や牛の脂ないしはバター、つまりスペシャル高カロリー。 だから肥満が多く、他の地方からは 『太ったひとの地』 と呼ばれたほど。 『肉食の地』なのだ。 ちなみに 『ラグー』 は 『煮込み』、 肉を喰うための調理法、われわれ本来の食文化とは別の次元と心得るべき

アメリカの「ステーキ屋」で注文すると、この肉食文化の違いを実感できる。 日本では、サーロインやヒレなど、部位を決めるところから入る。 でも彼の地で 『食べる牛の種類』 から選ばされるのは、やはり驚きだ。 いわく「なんとか・ロングホーン」だの、「なんちゃら・ホワイトフェイス」だの、『はァ? それって、ウシの名前っすか?』 という感じ。 これは寿司屋でブリを頼んだら『カンパチしかないんですが…』と言われてしまったときのリアクションと似ている。 『あ、それでいいですぅ』となるのが普通だろう。 アメリカ人はどんな牛のどんな部位が好み、という常識があるのだろうか? やっと、牛を決めて、部位を選んで、焼き方を指示して安心していると、今度は 『付け合せのポテトはフレンチとベイクトとハッシュドブラウンのどれにする?』『ポテトにサワークリームはかけるか?』『ベーコンビッツはどうする?』『サラダは付けるか?ドレッシングは?』延々と質問が続く。 肉食の地には、肉食のルールがあるのだ

本格的なボロネーゼ・ソースには何種類かの部位の牛肉(バラ、スネ、肩など)、パンチェッタなどの豚肉、に加え、鶏のレバーなどが加わり、これにタマネギやセロリなどの香味野菜を加えて煮込む。 多量の野菜のみじん切りを炒めて、肉を炒め、レバーを加えてさらに炒め、赤ワインを多量に加えて煮込む。 よく肉の味とワインの風味が合わさったら、ポルチーニなどの乾燥キノコのみじん切りを戻し汁ごと多量に加え、さらに煮込む。 さらに、これに牛のブイヨンをくわえ2~3時間煮込んだものがボロネーゼ・ソースなのだ。 これだけ強いソースは、それなりのパスタでなければ受け止められない。 ボロネーズ風パスタには、だからタリアテッレやリガトーニが使われるのだ

フライパンにラグーを温め、ゆでたてのパスタを投入、 パルメジャーノ・チーズのおろしたてを多量に加え、加熱しながらよく合えてソースをパスタに吸わせる。 これが本当のボロネーゼ。 余熱でパスタが劣化するので食卓へ急ぐ